「かく」第8号を読んで
発売開始して、約1ヶ月が経ちました。何名かの方々から、「買ったよ」「読んだよ」という声を聞くことができました。
ありがたいことです。「気の毒な」と言いたくなります(こっちの人なりの感謝の意を表す言葉です。こちらの動画を参照)。
では、どんな感想があったのか。
初めて直接感想を言ってくださった方からは、こんな話に。
その方は、「土竜の唄」という詩がお気に入りのようで、「いろいろある中にこんな詩があるとホッとする」とおっしゃっていたのが印象的です。短い、簡単な詩ですが、掘っても掘ってもまだまだあるという、そこに救いを感じると。「掘る」という行為が、例えば自分の道を突き進むとか、例えばどん底まで落ちるとか、例えば孤独な営みを続けるとか、いろいろな意味にとれるけど、まだまだその先があるのだと思えること、それを文字にされたものを読むことで、救いのようなものを感じたと。
ぼく自身、はっきりとそう意識して書いたわけではないので、それを聞いてハッとしたというか、単純に興味深い解釈だなと思いました。
考えてみれば、ぼくは何か伝えたいことがあって詩を書く、というタイプではなく、かたちにしたい頭の中のもやもやが、なんらかのきっかけで言葉になって、音楽になって出てくる、という感じです。でも、なんらかの「思い」のようなものはあるとは思います。
だから、絵を描いている感覚に近いと思っています。
言葉には意味があるので、読者は反射的になんらかのメッセージを読み取ることが常でしょう。でも絵なら、解説を読まないことが前提ですが、その場で感じたこと、思ったことがつまり、その絵なのだと思います。詩も同じなのではないか。そんな話になりました(そのときの話から、自分なりに飛躍して書いています)。
ぼくは、大げさないい方ですが、「意味」というものへの闘いというか、反逆みたいなものがあって、宇宙にある「意味以外のもの」の世界をかたちにしたいと常々思っています。それが芸術の価値だと思います。それについてはここで長々と語るより、作品で見せるべきだろうと思うので控えますが、そういう思いがあるので、絵を描くように詩を書く、といったのです。

なので、詩にしても何にしても、読んだ人の思ったことがそれで正解(といういい方は変ですが)なのだろうという話になったとき、面白いな、と思いました。
後は、エッセイが面白いといってくださった方も。
何人かいたのですが、皆さん珠洲以外の方だったので嬉しかったです。エッセイは珠洲のことを書いたので。これを読んで珠洲に来ることがあればどんなにいいだろうと。まれロードを通って、見附島まで、いかがでしょう。
それから小説ですが、視点の取り方を指摘されました。三人称の小説で、ところどころの描写の視点がよくわからなくなっていると。ぼくは、そのへんは「下手くそですみません」というしかないかなとは思いますが、ただ、その場にいる自分の幽霊みたいなものが書いた小説だと思っているので、そう捉えていただければ、と思います。ヴィルヘルム・ハンマースホイという画家がいます。彼の作品の世界がイメージとしてあります。
以上、「かく」第8号を読んでくださった方の感想を受け取って、そこからぼくが感じたことをつらつらと書きました。そうやって生まれる(「かく」ことで生まれる)、変化というか、空気の流れのダイナミズムが、「かく」ことの醍醐味だと、「かく」第1ページに書いてありますが、それを痛感しました(自分でいっておきながら)。
というわけで、まだまだ感想・励まし・ダメ出し・誤字指摘・カンパ(?)などお待ちしております。よろしくどうぞ。
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