鼻くその匂いはわからない
鼻くそのできる過程を具体的には知らないが、一瞬にしてできるのでないだろう。思うに、鼻の穴が吸い取った塵・芥・ゴミ屑が鼻毛に絡まり、鼻の粘液なんかと混ざり合ってできるのでないだろうか。
そうすると、自分の鼻くその匂いはわからないのではないかという気付きが、こないだあった。
つまり、徐々にできていって、いつの間にか鼻がむずむずするなと思ったときにはそれは、鼻くそは、鼻の穴の中に存在してしまっているのだ。
鼻は、匂いに慣れる。大便をした後の匂いは、自分では臭くないと思っていても、それは慣れているからで、現に、他人の大便後のトイレは耐えられないくらいの匂いを発していることは周知のとおりだ。ぼくは、男三人で少しだけ共同生活をしたことがあるのだけど、その中の一人が、
「トイレの消臭スプレーを買おう。毎朝のアレには耐えられん」
と、真剣な顔で言い出したことがあった。
鼻くそとて同じことだ。鼻の穴の中で少しずつできるのだから、自分ではその匂いに慣れてしまっていて、その匂い(いや、匂いがあるかどうか自体も怪しい)は、自分ではわからなくなってしまっている。
では、その匂いを確かめるにはどうすればいいのだろう。
まず考えられるのは、鼻くそをほじり切った後、しばらく時間をおいてから、その匂いを確かめるという方法だ。鼻の穴をクリーンな状態にしておいて、急激に鼻くそを表すのだ。しかし、それはすぐにうまくいかないとわかるだろう。しばらく置いている間に、鼻くそは乾いてしまうからだ。乾いた鼻くそに、たぶん匂いはない。乾いた鼻くそは、鼻くそではない。乾かないように、何らかの培養液に浸すとか、そういう科学的な方法をとるしかないが、日常生活の中では、現実的ではない。
次に思い浮かぶのは、他人の鼻くそを借りること。まず自分の鼻くそをほじり切って、無鼻くそ状態にしてしばらくしてから、他人の鼻くそを借り、その匂いを嗅ぐのだ。しかし、これももちろん現実的でなく、そもそも自分の鼻くそと他人のはなくそは同じ匂いとは限らない。同じ匂いか否かも、これまで実験・検証した人は、たぶんいない。それに、ぼくは、自分の鼻くその匂いを確かめたいのだ。
他に、いろいろな方法が考えられそうだが、現実的で誰でもできる方法があれば、どなたか教えていただきたい。
で、何がいいたいのか。
は、鼻くそに限ったことではないのではないか。
鼻くそは、たまたま鼻くそとして存在しているが、つまり物質だが、己の中にも、いつの間にかできていって、気付いたらそこにあって、それゆえに自分ではその中身がわからない「鼻くそ的なもの」はないだろうか。
例えば、ある種の癖。ぼくは猫背で、食事のときとか歩いているときとか、いつの間にか猫背になっている。他人に指摘されたり、ガラスに映った自分を見たときなんかに、ハッとするのだ。その場では直しても、またいつの間にか背中は丸まっている。取り除いても取り除いても出てくる。自分では気付かない。その猫背がどういうものなのか、ライブ感覚ではわからない。
ここまで考えて、気づいたのだが、自分という存在そのものが、そうなのではないか。
誰も、自分の顔を直接見ることはできない。いま・ここにいる、生の自分を見ることはできない。確かめることができない。取り除いても取り除いても、いつの間にか存在していて、気付いたときには、ああ、自分だ、なんて思っている。そして、その実体を確かめることは不可能なのだ。
他にも、いろんないい方ができるだろう。そう、自分=鼻くそ説について。
こんなこといっては元も子もないが、人は鼻くそで、ぼくも鼻くそで、あなたも鼻くそなのだ。福山雅治も、松田聖子も、皆鼻くそなのだ。鼻くそという、この不思議な存在を、日々、ウンウン言いながら生きている。
鼻くそが生きている。
鼻くそ人生に幸多かれ。