まれロードを走って思うこと
みなさんは「まれロード」をご存知だろうか。
車で走っていると、いつの間にか「まれ」のオープニングテーマが流れてくるという不思議な道が、能登にはあるのだ。「まれ」とはもちろん、去年NHKで放送されていた朝の連続テレビ小説の、あの「まれ」である。
石川県には、「のと里山海道」という、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路があるのだが、まれロードはその中にある。金沢から能登に向かう終点近くになると、いきなり「まれ」のオープニングテーマ(「希空〜まれぞら〜」というらしい)が流れ出すところがあるのだ。能登地区の視聴率がどれだけだったかは知らないが、おそらく能登の人なら誰でも知っているあの曲がどこからか流れ出すのだ。金沢から能登に向かう車線にだけそれがあるというのがミソだろう。
まれロードの詳細を知らない人がこれを読んでも、よくわからないと思う。いきなり流れ出すといわれても、いまいちピンとこないと思う。スピーカーから常時流れているわけではない。ある一定の区間を車で走ることにより、乗客に「希空」が聞こえるというものになっている。
タネ明かしをすると、高速道路によくある、上を通ると鳴るあの「ファーッ」という警告音を利用している。眠気覚ましといわれているが、あれが「希空」を奏でるように設計されているのだ。
その構造はよく分からないが、警告音を鳴らす砂のようなものでも、その密度や素材によって鳴る音の高さが変わるのだろう。時速何キロで走れば、この密度では「シ」の音、この密度では「ラ」の音、というふうに。それを計算したうえで、「希空」になるように砂(?)が配置されているのだと思う。まれロードは、公式には、時速70キロで走ると、きちんと「希空」になるといわれている。もちろんそれ以上のスピードで走ったとしても、キーとピッチが変わるだけで、「希空」を知っている人なら、それはきちんと「希空」に聞こえるはずだ(ちょっぴり奇妙な曲だけど)。
ここで問題になるのは、のと里山海道、まれロードを通る者は皆、否が応でも「希空」を聞かなければならないということである。金沢から能登に(レジャーにしろ帰省にしろ)向かってる途上、さああもすぐ着くぞというところでいきなり聞こえていくるあのメロディー。好きな人なら嬉しいだろうが、中には嫌いな人もいるわけで、それを自分の意思とは関係なく、無条件で聞かなければならないというは、ちょっとどうかと思う。嫌ならのと里山海道を通らないという選択肢しかない。
そうはいいながら、ぼくはまれロードを通るとき、車のオーディオは切って、「希空」をじっくり鑑賞することにしている。だって面白いから。聞きたくて聞いているわけではないが、嫌でも聞かなければならないように公共の道路が作られているなんて、ちょっと面白い。「みんなまれ好きでしょ? ほらあの音楽よ。いいでしょ?」と言われているようだ。はっきりいって、いいとは思わないが、能登の道路なら「希空」を聞かせてもいいと思っているその考え方が気に入った。聞いてやろうじゃないか。
そうはいいながら、ちょっと迷惑なこともある。特急バスに乗っているときだ。金沢から能登へと向かう特急バスなので、不特定多数の人間がいて、ほとんどお互い知らない人同士だ。そんな即席の共同体がみんなんで聞く「希空」は、かなり異様だ。運転手がオーディオから流したわけでもない、乗客の一人がラジカセのスイッチを入れたわけでもない、いわば指揮者なき楽団の暴走である。暴挙である。特急バスを襲う音楽テロだ。それを乗客みんなで共有しなければならないなんて、すごく特殊な状況ではないだろうか。そのときの車内には、独特の空気が流れる。誰が聞きたいと言い出したわけでもなく、そこを通っただけでいきなり流れてくる「希空」のメロディー。路上で裸のお姉さんを見かけたときのような、どこに目を(耳を?)向ければいいのかわからない、不思議な恥ずかしさがある。
そんなささやかな迷惑はあるけれど、特に反対運動もなく、まれロードは今もあり続けている。愛され続けている。きっとみんなもまれロードが好きなんだろう。ドラマの出来になんだかんだ言っておきながら、まれロードを通るときは車のオーディオを切っているんだろう。ぼくはそう思っている。
そんなまれロードの通過を動画に撮ったものを見つけたので、以下に貼っておいた。
ほら。やっぱり、みんなまれロードが好きなんだ。
掲載者:amazonparotts from YouTube
動画に合わせて歌ってみよう。
「希空〜まれぞら〜」
作詞:土屋太鳳
作曲:澤野弘之
さあ駆け出そうよ 今すぐに
未来は今は遠くても
ひとりぼっちのままで
泣く夜が続いても
本当のわたしへ
風が強く冷たいほど
教えてくれる
出会うべき人のことを
どうか 希望の地図を
そっと開いてみてね
あたたかい未来たちが
僕らを待っているよ