かげ ⑷
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翌日の通夜も滞りなく終えられた。ミチには敏子しか子がいないから、本人の死でミチの家(鶴田家)自体はこれで途絶えることになる。
そんなわけで、香典も返すことができないからと、相談の上、家族葬という形をとることになっていた。参列するのは、前日部屋に集まったようなごく近い者たちだけ。新聞の訃報欄には出さず、弔問客がいても、基本的に金銭は受け取らないことにした。
とはいうものの、やはりというべきか、どこからか聞きつけた隣近所の者たちが大勢つめかけて、「お願いだから、気持ちだから」と、香典を渡そうとする者が多い。閉鎖的な集落だから、余計にそうなるのだろうが、残された者の気持ちとして、それは何葬であろうが変わりはない。
その翌日の葬儀も、訪れる顔ぶれはあまり変わらなかった。
この斎場から離れた火葬場まで向かう者は近親者だけだったが、とまれ、知らせてもないのにこれだけ多くの人が集まったのだから、ミチも喜んでいるだろう。
納めの式という、故人が火葬炉へと入る前の儀式が悲しみのピークだ。これで顔を見られるのが最後だと思うと、涙しない者はいない。僧侶の経の後、参列者たちが菊を中心とした花々を棺桶に入れる。
「楽になったねえ」
「これで大好きな父ちゃんとおんなじとこ行けるね」
「甘いもん好きやったさかい、饅頭入れよか。いいけ?」
皆、好きなような別れの言葉を口にする。千秋は、
「おばあちゃん、ありがとう……」
とだけ呟いて、菊の花をミチの左頬に触れるように入れた。
火葬炉のシャッターが下りた後は、待機室で昼食をとることになっている。ひととおり飲食を済ませたころに、ミチは骨だけになる。
二時間ほどでそれは終わったようだ。「焼き上がった」というのは不謹慎だろうか。こういうときの正式な言い方を誰も知らない。
もう骨だけになり、骨上げするだけとなった今となっては、参列者の気持ちは晴れ晴れとしている。さっぱりとした声で話すし、冗談を言っているおじさんもいる。涙の跡も消えて見えない。
この空気が千秋にとって不思議だった。今まで葬儀には数度、参加したことがあるが、いつもこの段階になると、皆決まって晴れやかな、楽な表情をしているのが不思議だった。まるでこれで悲しむ時間は終わりましたよ、というようだ。二時間前までの涙は何だったんだろう。
この気持ちがわかるときが来るのだろうか。あたしはまだ子供なんだなと、ただ自分に言い聞かせるだけだった。
初七日の儀もこのすぐ後、ものと斎場で行うことになっていたので、全員来たときと同じバスで戻った。着いてから少し時間があるようだったので、同じ待機室で待っていた。
皆口数が少ないのはあまり変わらなかったが、思い思いの楽な体勢で過ごしている。
ふと、和也が口を開く。
「姉ちゃん、死んだ人を燃やすってなんねんろうね。なんかの意味あるんかな」
「……意味? 意味か。なんかそれが死んだ人への供養なんだろうね」
千秋は模範解答のようなこと言ってしまったと、少し後悔したが、改めてそう聞かれて、自分も火葬というものをどう思えばいいのか、よくわからないので、その後も曖昧なこと言っただけだった。和也も、
「ふーん……」
と言ったきり、考えているのかいないのか、よくわからないまま何もないこの部屋を見渡していた。
ビールの空き缶、日本酒の空き瓶、食べ散らかしたつまみや誰かが仮眠に使った座布団があるだけだった。
一昨日から飛んでいた蝿は、もういなくなっていた。
(終わり)