フォトグラフール ①「美人テレビ」
町田康に『フォトグラフール』という本があります。
とある写真を元に、それに関する話を、面白おかしくでっち上げるものなのですが、それがすごく面白い。
氏のユーモアのセンスには脱帽です。
どんなものかはまるまる載せるわけにはいかないので、ぼくがそれの真似をしてみました。
「美人テレビ」
静岡光江と言えば、知る人ぞ知る、戦後舞台界きっての大女優である。そしてその哀しすぎる顛末をご存知の方もおられよう。
50年代も後半、戦後という言葉も古びた響きを持って語られるようになった頃、復興の足音とともに、巷では白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器という言葉が流行していた。しかしながら一方で、舞台の隆盛も極まっていた。そんな折、光江は、綺羅星のごとく輝き、舞台の上で燦然と脚光を浴びていた。そして一方で彼女はあることで悩まされていた。一方的な好意と、それとは裏腹な敵意とを併せ持った、一部の熱狂的なファン、今でいえば「ストーカー」である。
裕福な家庭に生まれた諸岡大介は一浪して都内の私立大学に入学した。この時代の大学と言えばかなりの高学歴、入学できる者といえばかなり限られていた。しかし、時代は変われど人は変わらず。自堕落な学生生活を送る大学生はいつの世にもいるものである。
大介が上京したばかりの五月、帝国劇場で「夢うつつ」という舞台を偶然見たことがあった。知り合いの知り合いが舞台監督をやっていて、彼がその芝居を監修したということで、招待されたのである。
特に興味のない芝居であったが、大介はそこで思わぬ出会いに遭遇することになる。一度見たら忘れられぬ。その大きな目、ほどよくつり上がった唇、カールした髪、それらすべては大介の心をつかんで離さなかった。
その晩から大介は彼女のことしか頭になく、昼夜を問わず、暇さえあれば、いや、忙しい時でも彼女のことばかり考えていた。しかし、その思いは募る一方。やりきれないフラストレーションはやり場をなくし、さまよっていた。
そして運命の七月、梅雨が明けた頃である。熱さ厳しい日比谷の公園でふらふらしていた大介は金槌で後頭部を殴られたような思いがした。
「あの女だ」
そう口にした。その後の彼の行動は、不可思議なことではあるが、今になってみればそれも道理となろう。
ある晩。大介は日課となった世田谷のその女の邸宅の監視業務に精を出していた。今日も異常なし。無事に守られている。そんな思いを胸に今夜も大介はその女の邸宅を見守り続けるのだった。しかし、思ってもみないことが起こった。彼女の部屋に見知らぬ男が闖入してきたのである。大介は間髪入れずに邸宅に押し込み、彼女の部屋へと走った。
「こら!何者だ!」
正々堂々、英雄気取りで彼はその女のもとへ駆け寄ったものの、場が白けていることに気づくのに時間はかからなかった。鈍感な大介にも察しはついた。これほどの美貌を持った静岡光江である。男の気配などあって当然だ。しかし、茫然自失となると思いきや、彼はその場にあったガラス製の重い花瓶を持ち上げた。そして間髪入れずに男の後頭部を二度殴り、光江の後頭部を一度殴った。大介はそのまま彼女を自室に持ち去った。
大学の講義から帰った晩、彼はテレビをつけた。そこにはまぎれもない静岡光江の姿がある。微動だにしない光江。美しい光江。麗澤な光江。生々しい光江。本物の光江。
バストアップの構図で、文字通り切り取られた光江は、大介のテレビの中で永遠に生き続けることとなったのである。
