口臭と木目調
アメリカのジョークでこんなのがある。家族で旅行に行くことになり、各々が行きたい所を出しあって、ああだこうだと話し合ったところ、結果としてミネソタに行くことになった。それはいいのだが、ミネソタに行っても、いまいち盛り上がらず、ひととおりまわって帰ってきて発覚したのだが、実は誰もミネソタになんか行く気はなかったのだ。というのも、家族の全員が、自分以外のみんながミネソタに行きたいと思っていると考えていて、家族の全員が自分の行きたい所を譲って、その誰も行きたいと思っていないミネソタに行ったのだ。本当は誰も望んでいないのに、誰かが(みんなが)望んでいると、全員が思っていたのだ。
日本でもよくある「木目調」もその話に当てはまるのではないか、と思う。例えば、デザイナーがカフェの内装や家具をデザインしたりするとして、自分は別に木目調にするつもりはないのだけど、客やクライアントが求めているものとして、なんとなくの思い込みで、無難なこともあり、木目調にする。木材を使うのではない。あくまで木目「調」だ。それで、それを見たクライアントは、(木目調か、……まあ別にいいいか。お客さんは喜ぶかもしれない。このデザイナーもいいと思ってデザインしたのだろう)と思い、オッケーを出す。そして、そのお店がオープンするはいいのだが、訪れる客の全員がその内装は全く気に入っていないとしたらどうだろう。客は、(木目調か、……別に私は好きじゃないけど、みんな好きなんだろうな、こういうの)と思い、特に誰もそれに対して口にすることはない。結果、デザイナーもクライアントも客も、みんな木目調なんか好きじゃなかたのだ。
結構極端な話かもしれないが、「無難」という選択肢はそういう意味を持っていると思っている。個人的にはなんとも思わないけど、みんなはこういうの好きよね、なんて思って、それを選ぶのだが、実はみんな自分と同じくなんとも思ってなかったりして……。
そんなものが世間を飾り立てていると思ったら、なんなんだこの不思議な国は、と感慨にふけらざるを得ない。
さらにぼくは「口臭」もそうだと思う。口が臭い人なんて、よく考えたらめったに会ったことがない。たまにいるのだが、臭い人と会ったときに、(……自分ももしかしてこれくらい臭いのか?)なんて思って、さらに電車の中の広告なんかの煽りもあって、たいして臭くもないほとんどの人が、実態のない「口臭」という悪にいきりたつのではないか。口臭ケア用品の勢力はこうして出来上がっているのではないか、と。実際口臭のひどい人というのはかなり稀だという研究データもある。
そういう「自分は気にしないけど、みんなが好きだと思っているもの・みんなが気にしてると思っているもの」は他にもありそうだ。
少し自分を引いて見て、おかしいと思ったりするものがあったら、ぼくまでお知らせください。
自分を殺して周りを(無言で)立てる、日本独特の文化かもしれない。